鬱とカイロプラクティック+ケーススタディ+勉強になったこと
約一ヶ月前に一人の男性が母親に連れられてクリニックに来た。
21才のその彼は数年前から重い鬱と極端な集中力の低下に悩まされていた。その症状のために働くことはもちろん、学校にも行けない。21才なんて、外の世界で泳ぎ回っていろんな経験をして失敗も沢山してものすごく楽しい時期なのに。胸が痛くなった。
それに鬱のクライアントに直面したことがあまり無かったので、「どうしたもんか」と心の中で思った。でもカイロプラクターとして彼のために確実に出来ることは問題を見つけてそれを取り除くこと。他の人と全く違わない問診とカイロプラクティックの検査を行った。ただ、集中力が極端に無いので彼とのコミュニケーションは非常に難しかった。話の途中ですぐ自分の世界に入ってしまう。
レントゲンも撮影し、サブラクセーションと戦う準備も出来た。
次にクリニックに来たときにアジャストメントをした。コミュニケーションがとりにくいので彼の口からはどのくらい効いたのか、何か変化があったのかを聞き出すことは出来なかったが、Post X-rayや検査からのObjective Findingではしっかりとアジャストメントの効果が現れていた。
しかし、このときの心境はまだ、”う~ん・・・次に会うときにはどうなっているか”という不安と期待の混ざったようなもの。まだまだ精神力が弱い自分。
そして三回目、あの後どうだったかと聞くと、”That’s Alright”という気のない返事が返ってきたが、前回とは明らかに違うことに気づいた。そういえば彼はさっきからこっちをじっと見ている。うまくコミュニケーションがとれてる!この時は本当に嬉しかったというか、ほっとした。そして呼吸の指示をしたときもしっかりと言ったとおりにしてくれる。ああ、やったぜ!と思った。
彼が帰った後に母親にメールを送った。これはすごいことだ!と興奮混じりに。返信が来た。母親も喜んでいる様子。そして、どんなに些細な事でも良いからこれからもケアの前後での変化について教えて欲しい、と書いてあった。
それからしばらくして、彼女から連絡があり、もう通えないと言われた。自分達の時間や経済的な事情を考慮した上で僕のケアを受けるのは効果的だとは思わないとキッパリ言われた。ものすごい態度の変化に戸惑ったけれど、自分が未熟だったんだと受け入れることにした。こんな時、いつも自分に絡みついてくる感情は、「もし彼を看たのがウチのボスだったら」「もし彼のケアを担当したのがケン(同じクリニックの先輩)だったら」彼はどうなっていただろうか、ということ。・・・これ以上書くとひどく落ち込むのでここまで!
自分が未熟なんだからしょうがない!昔起こったことは変えることが出来ないので今後どうするか、前を向くしかないのです。自分が覚えた感動の度合いとクライアント側の満足度にギャップがあることに気がつかなかった自分が情けないと思った。自分のやったことは決して間違ってはいないと今でも思っているが、彼がもしケアを続けていたとしたら今頃どれくらい改善しているだろうか、と考えると残念でならない。一ヶ月後には彼と一緒にどんな話が出来るようになるんだろう、などと考えてもいたのに・・。
もし自分のクリニックであったら、タダでもいいから看させて欲しい!と申し出るところだが、そうもいかない。現実はキビシイのである。
失敗は貴重な財産。精進あるのみ!